ようこそ! ゲストさん メンバー登録はこちら
2019年12月1日

挑戦し続ける若きホップ農家|小林 吉倫さん

プロフィール

埼玉県出身、北杜市在住。
大学でバイオを専攻した後、東京都内で会社員として就職。
2014年頃、父親が退職後北杜市に移住・農業への転向希望をきっかけに、共に就農しホップ栽培を開始。
当初は週末のみ北杜市に赴きホップ栽培に携わるも、規模拡大に伴い北杜市へ移住。
現在も企業に勤務するかたわら、両親とともにホップ栽培・収穫・加工・パッケージ・分析・営業・販売までを行う。
挑戦した先に見つけた
自分なりのワイフワーク
挑戦し続ける若きホップ農家|小林 吉倫さん
新しいジャンルの職種にとびこむとしたら、しかも、それが誰もやってないことだとしたら、いったい何人が挑戦するのだろう――。
働き方のクオリティーが問われるこの時代、この疑問を抱く人も少なくないはず。
今回紹介するホップ農家の小林さんは、まさにその挑戦に身を投じたひとり。
どうしてその選択を?という質問を引っさげて、彼のもとを訪れました。

想像以上に過酷なホップ栽培

挑戦し続ける若きホップ農家|小林 吉倫さん
小林さんがホップ栽培を行っているのは、北杜市高根町。
ビールのCMなんかで“ホップ”というワードはよく聞くけど、そもそも「ホップって何?」と質問しても答えられない人も多いのでは。
それもそのはず。
なぜなら、ホップ農家のほとんどが大手酒造メーカーと契約したり、ビール醸造所が所有していて、かなり限られた業界だから。
そんな中、小林さんは日本で唯一どことも契約を結んでいない独立したホップ農家。
現在は両親と一緒に約20種類のホップを育てています。
挑戦し続ける若きホップ農家|小林 吉倫さん
実は、ホップはコストと労力がかかる植物。
専用の設備や機械を用意しなければいけなかったり、大量の肥料を使わなければいけなかったりと、かなりの初期投資が必要で、しかも栽培を始めてから出荷可能な本収穫に至るまで5年ほどかかるんだとか。
挑戦し続ける若きホップ農家|小林 吉倫さん
収穫の最適期間は7月後半からのたった4日ほど。
収穫にこぎつけた後も、ホップの香りを極力逃がさないため迅速に加工しなければなりません。
「ホップは摘んだ瞬間から劣化が始まり、香りが失われていきます。しかも紫外線にも弱い。時間が経つとカビのような匂いが出てきてしまい、ビールの仕込みには使えなくなります。ビール製造者はみんな「採れて30分以内のホップを使いたい」と言うほどです」。
挑戦し続ける若きホップ農家|小林 吉倫さん
もちろん、本収穫できるようになったからといって油断は禁物。
常に天候や病気との闘いが待っているのだそう。
「ホップは性質上、病気に感染すると株ごと全部ダメになることもあります。今年もある種類のホップが病気にかかってしまって、収量がいつもの1/3になってしまいました」。

むしろ誰もやっていないから

挑戦し続ける若きホップ農家|小林 吉倫さん
ここまで聞くだけでもヘビーなホップ栽培。
それゆえ、ホップ農家は大抵酒造メーカーやビール醸造所の傘下に身を置くことで補助や収益を確保しているのだそう。
しかし、小林さんはあえて誰もやっていない独立したホップ農家の道を選択。
そのため、栽培・収穫に加え一般的なホップ農家が行わない加工、分析、パッケージ、営業、販売に至るまでのすべてを行っています。
なぜそうまでしてホップ農家を選んだのかと聞くと、「むしろ誰もやっていないから」との答えが。なんて大胆かつ驚愕の発想!
挑戦し続ける若きホップ農家|小林 吉倫さん
小林さんがホップ栽培にたずさわるようになったのは2014年頃。
きっかけは、小林さんのお父さんの“農業をやりたい”という願いでした。
当時小林さんは大学の農学部でバイオを専攻した後、東京で会社員として働いていましたが、ちょうど同じタイミングで農業に興味を持ち始めていたこともあり、親子で農家に転身。
『風土に合う』『市場価値が高い』『種をまく必要がない』、この3つの条件がそろった農作物を探していました。
(ちなみに『種をまく必要がない』という条件を入れたのは、単純に「種をまくのが大変だから」とのこと)
挑戦し続ける若きホップ農家|小林 吉倫さん
もう一つの理由が、北杜市で唯一昔からホップを作り続けていた浅川定良さんとの出会い。
実は北杜市はかつてホップの一大生産地であり、国産種第1号『甲斐黄金(かいこがね)』が誕生した地でもあります。
しかし輸入ホップが台頭し、その生産量は激減。
最盛期には約900戸あったホップ農家も急激に姿を消していく中、「国産種第1号『甲斐黄金(かいこがね)』の種を絶やしたくない」と浅川さんは一人畑の片隅でホップを作り続けていました。
挑戦し続ける若きホップ農家|小林 吉倫さん
その存在を知った小林さんはホップ栽培を決意。
しかし、浅川さんに師事しようと門を叩いたところ、まさかの「やめた方がいい」とやんわり諭されることに。
でも、小林さんは諦めませんでした。
「浅川さんには「国産ホップ業界は衰退の一途だからやらない方がいいよ」って1ヶ月近く断られ続けました(笑)でもそれって逆に誰もやる人がいないってことじゃないですか。むしろビジネスチャンスなんじゃないかって思って」。

地道に試行錯誤を繰り返す日々

挑戦し続ける若きホップ農家|小林 吉倫さん
本格的にホップ栽培を始めてからも試行錯誤の連続。
というのも、ホップ栽培は業界が閉ざされているがゆえに栽培に関する資料や情報がほとんどないのだそう。
「栽培を始めたのはいいものの、農業としての栽培方法がどこにも載ってなかったんです。だから、実際に浅川さんや全国の農家をまわって直接教えてもらったり、海外から書物を探して読み解いたりして、自分なりの栽培方法を研究しました」。
挑戦し続ける若きホップ農家|小林 吉倫さん
また、収益につながるまでの間、外貨を稼ぐため兼業も開始。
今も企業で働くかたわら、その合間をぬってホップ栽培を行っています。
その地道な努力の積み重ねにより、最初はひと鉢から始めたホップ栽培が徐々に規模を拡大。
今では3ヶ所の畑で合計1.5ヘクタールまでの広さに。
今後はさらに作業の効率化を図るため、専用の機械の開発も画策しているんだとか。

国産ホップの格上げを

挑戦し続ける若きホップ農家|小林 吉倫さん
品質に定評のある小林さんのホップ。
顧客には、コエドブルワリー、八ヶ岳ブルワリー、Far Yeast Brewingなど名門ビール醸造所が名を連ねます。
他にも、食品会社やパン種としてパン職人にも重宝されているんだとか。
このように契約や固定の卸先のとらわれず、いろんな顧客に高品質なホップを提供できるのは独立した農家だからこそ。
「僕がホップを作り始めたとき、「日本のホップは個性がないし、輸入品で事足りているからいらない」と言われました。さらに当時は僕自身の加工技術が未熟で品質が劣っていたんです。だから僕が一番大切にしているのは質を大事にすること。そのためであれば夜通しの作業も惜しみなくやります。ある醸造家さんに「小林さんのホップはさすがだね」って言ってもらえた時は、「やってて良かったー!」って心から思いました」。
挑戦し続ける若きホップ農家|小林 吉倫さん
また、新品種の改良や農業指導などにも力を入れる小林さん。
いずれは法人化してホップにまつわるあらゆる事業に展開していきたい、と言います。
「ホップには生食や加工食品などの可能性が秘められてます。本来のビール製造のための育種・分析・販売はもちろん、ゆくゆくはホップを使った事業のコンサルティングもできたらな、と。北杜市は就農No.1と言われる土地だけど、ほとんどの人が定着できずやめていくのが現実。その問題を解消するためにも、ホップ自体の収益性をもっと上げて、新規就農者の栽培作物の選択肢のひとつになれればと思ってます」。
挑戦し続ける若きホップ農家|小林 吉倫さん
「最初は種をまく必要がないからホップを選んだのに、やり始めたら想像よりだいぶ大変になっちゃいました(笑)」と笑う小林さん。
でも、この仕事をやり続けられているのは好きだからこそ。
誰もやっていない新しいことに“むしろ誰もやっていないから”という価値を見出し、その先にやりがいをつかんだ小林さん。
ホップ作りは楽しいですか?と聞くと、「もちろん楽しいですよ!」とのこと。
その躊躇ない答えには、確かな覚悟がこめられていました。

<小林さんのホップ農園のHPはこちら>
http://hokutohops.com/
バックナンバー
トップへ