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サッカーコーチとしての挑戦 | 小澤 亮介さん

プロフィール

韮崎市出身 甲斐市在住。
サッカーの名門、県立韮崎高等学校サッカー部を経て、プロサッカー選手になるという大望を叶える。
アルビレックス新潟シンガポールで、プロとして夢の大舞台へ…しかし、その先に待っていたのは1年で契約終了という厳しい現実。
大好きだったサッカーを離れ、様々な職業を経験するも、再びサッカーに関わる仕事に。
現在、ヴァンフォーレ甲府のジュニアユースのコーチとして、新たなるステージに立ち、さらなる大きな夢へと挑む!
夢を叶えた、そのあとの景色…。
常に夢を追い、走り続ける意味
大きくなったら何になりたい?
誰もが一回は聞かれたことがあるお決まりの問いに、子供はでっかい夢を笑顔で答える。
サッカー選手やプロ野球選手、宇宙飛行士、科学者、パン屋さん、パティシエ、お医者さんに学校の先生などなど。
幼い頃に思い描いた職業につく人は、一体どのくらいいるのでしょう。
大好きだったサッカー、そして絶対サッカー選手になるという夢を現実にした小澤亮介さん。夢を叶えるのは決してたやすくはありません。でも、叶えたそのあと、自動的にバラ色の人生が続いている…わけでもないのです。
プロサッカー選手を経て、ヴァンフォーレ甲府のジュニアユースコーチとして、今もなお大好きなサッカーに関わる小澤さんが教えてくれた夢の叶え方とは…。

苦難の時代

小学校3年生で入団した地元の甘利サッカースポーツ少年団で、サッカーの楽しさを知ったという小澤亮介さん。サッカーをこよなく愛するサッカー小僧・小澤少年の夢は、もちろんプロサッカー選手!
ここまでは、ごく普通の小学生が描く夢にすぎませんでした。
その夢を確固たる『覚悟』に変えたのは、高校進学。
“サッカーで飯を食っていく”ために、高校サッカー界の名門チームとして、全国にその名をとどろかせた“韮高サッカー部”に入部。
日本のレジェンド、中田英寿を輩出したエリート校でのサッカー人生の始まりです。
「高校時代は一番きつかった時代かな。キャプテンとして自分の役割と向き合い、チームのことを考え、個としての技術もあげていかなければならない。葛藤も大きかったです」。
小澤さんを支えたのは、いつもそっと机にあったお母様からの置き手紙でした。なんていうことはない短い手紙が、本当にきつい時に心を軽くしてくれたんだとか。
「サッカーについて無知な、明るい母のちょっと的はずれな励ましこそが、よし、やっぱり頑張ろうという明日の活力になりました。」
今でもとってあるというその手紙は、苦悩のときを支えた、小澤さんの大切な宝物になっています。

弱点から得た武器

サッカー選手としては小柄な小澤さんは、“小さい自分”が大きい選手に勝てることは何かを真剣に考えました。
誰にでもできるけど、誰もやっていないこと…それは走ることでした。
「簡単なことだけど、本当にきついから誰もできていなかったんです」。
ロングキックや空中戦では勝負できなくても、その分ショートでのテクニックを磨き、誰よりも走れる選手として、その地位を確固たるものにした小澤さん。サッカー選手として重要なことは、それだけではありませんでした。
「技術だけでなく、人間力。それもすごく重要なこと。“おい、チビ!”と言ってくる選手もいて、逆に人の気持ちをよく考えられるようになりました(笑)。その反面、負けたとしてもいい試合の後には、お互いがすごく仲良くなったり。仲間はもちろんですが、試合相手の気持ちや状況を考えられる選手こそが、チームにとって必要な存在です」。
仲間がいなければ大好きなサッカーもできないし、相手がいなければ試合ができない。だから常にリスペクトする気持ちを忘れてはならないと、気づかせてくれた高校三年間。
個よりチームを優先し、勝敗にこだわり、キャプテンとして自分の役割を果たした苦しかった時間が、小澤さんにかけがえのない学びの機会を与えてくれたのです。

夢のプロ契約へ!

高校卒業後、「サッカーしかやってこなかったから、サッカーしかできない」という小澤さんは、プロになることにこだわり、新潟県にあるJAPANサッカーカレッジに進学。全国唯一のサッカー専門学校で、アルビレックス新潟のアマチュアチームとしても登録しているため、認められればプロ契約への道も。
小澤さんは着々と「プロサッカー選手」という夢へ近づいていきました。
人より身長が低かったからこそ、その分人より努力すること、考えることをごく当たり前にこなしてきた小澤さん。見事プロ選手への切符を手にしました。
アルビレックス新潟がシンガポールプロリーグに参戦していたこともあり、小澤さんの舞台はシンガポールへと移りました。

夢を叶えて失った夢

東南アジアの常夏の国、シンガポールが活動の拠点となった小澤さん。
気候も文化も違う海外でのプロ人生が幕を開けました。日本とは違って、昼間はほとんどフリー。練習も試合も涼しくなった夜から。
「本当にプロとは思えないような生活をしていました。起きるのも遅かったし、昼間は買い物や遊びに行ったり、たまには走ったり…(笑)」。
プロ1年間でスタメン出場は半分以下。
その結果、1年で契約終了という厳しい現実を突きつけられました。
「あんなに長い間努力したのに、プロになったとたん、努力することをやめてしまった。夢が叶って満足しちゃったんです。夢を叶えたその先をまったく想定してなかった」。
夢を叶えて、目標を失ってしまった小澤さん。
新たな目標を掲げ、努力することもできずに、せっかくつかんだ夢をわずか1年で手放すハメに…。
「僕の夢はプロサッカー選手になること、だった。プロであり続ける、ではなかった」。

やっぱりサッカーが好きだ!

帰国後も、プロとしてサッカーを続けたかった小澤さんは様々なセレクションを受けましたが、結果はすべて×。指導者としてのオファーもありましたが、『プロ選手』へのこだわりを捨てられず、サッカーをやめることを決断。それからは様々な職業を転々としたとか。
2010年のワールドカップをテレビで観て、「やっぱりサッカーっておもしろいな!」と、忘れかけていたサッカーへの情熱が再燃!
小澤さんの胸に点ったのは、サッカー少年だった幼い頃の、シンプルに「サッカーが大好き!」という思いだったのでしょう。
韮高時代の先輩の紹介で、ジュニアコーチとしてヴァンフォーレ甲府に入社。
現在では、プロサッカー選手を目指し、日々トレーニングする大勢の子供達と、大きな夢に向かって邁進中!

新たな夢に向かって

「僕が教えられるのは、“僕のようになるな”ということ。夢はゴールじゃない。叶えるための努力はもちろんだけど、叶えたあとも、また新たな目標に向かって、新しい夢を見ないと!夢に終わりはありません」。
「大きくなったらプロサッカー選手になる!」
幼い頃の夢を諦めないことは難しい。
諦めずに努力し続けること、夢を叶えることはもっと難しい。
夢を叶えたら、素晴らしい世界が広がっているのでしょうか。
いいえ、そのあとの景色を決めるのは、自分自身なのです。
「ぼくの今の夢は、教え子が全員プロサッカー選手になって、J1で優勝して、アジアチャンピオンリーグで優勝すること!大っきいでしょう!」
今はまだ、大勢の子供達と共に、でっかい夢に向かって走りはじめたばかり。
八田のグラウンドでそう言って笑う小澤さんは、やんちゃなサッカー少年そのもの。
小学生のような瞳がキラキラとまぶしく輝いていました。

小澤 亮介さん
お気に入り Gourmet
和食おすし 若1
和食おすし 若2
和食おすし 若ワショクオスシ ワカ
韮崎の実家で兄貴が営む和食とおすしの店です。
野菜だけでつくる「やさいかいせき」が人気で、県外のチームが来たときに連れて行くと、かなり喜ばれます。
芸術家肌の兄貴のこだわりが詰まった店なので、ぜひ!
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