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未来を切り開く甲府市職員 |土橋克己さん

プロフィール

甲府市出身 甲府市在住。
駿台甲府高等学校時代は野球部に所属、
プロ野球選手を目指し、中央大学商学部へ進学。
野球での限界を感じ始め、地元でなにか成し遂げよう!とUターン就職を決意、地方公務員の道へ。
入所後環境部に配属。その後、税務部、県庁、産業部、地方卸売市場などを経て、現在企画部リニア交通室交通政策課勤務。
オトナの部活動として、「甲府ん!路地横丁楽会」でばく進中!
「何もない」ではなく「知らない」だけ!
地域の宝を世に出すトレジャーハンター
土橋克己さん 写真2
夕方18時をまわり、夜の帳がおりると甲府の路地横丁には、一斉にたくさんの赤ちょうちんやネオンが灯り始めます。昭和の面影を色濃く残すレトロな雰囲気の中、ちょっぴりいかがわしさも漂う路地裏の飲み屋街。

こんな路地横丁をこよなく愛する男が今宵も現れました!

模索した歩むべき道

土橋克己さん 写真3
颯爽とスーツを着こなし、路地裏を闊歩。かしわ料理「鳥真」の暖簾をくぐるこの人こそ、甲府市役所の異端児、土橋克己さん!
土橋克己さん 写真4
「ここのチキンライス、絶品ですよ!食べますよね?二人前!」
こんにちは…の挨拶もそこそこに、早くも土橋ワールドへずぶずぶと惹き込まれていくのでした。
土橋克己さん 写真5
小学4年生で始めた野球にのめりこみ、以来中学、高校、大学と野球一筋の道を歩んできたという土橋さん。話を聞かずとも、その姿は正真正銘の熱血スポーツマン!本気でプロ野球選手を目指し、ピッチャーとして一路邁進した学生時代。すべての原点は高校時代のノミの心臓からの脱却だといいます。
「野球は個人的には究極の個人プレーだと思っています(笑)。ピッチャーで8割決まると言われていますからね。9人でピッチャーにかわるがわる挑んでくるなんて、公開のイジメですから(笑)」。
土橋克己さん 写真6
人一倍責任感も強く、努力家で、一つのことに打ち込む土橋さんだからこそ、そのプレッシャーも半端ではなかったはず。たくさんの喜びと苦悩の中で、様々な挫折を乗り越えてきた土橋さんでしたが、大学4年生のとき、将来を現実的に見据え、プロ野球選手という夢への限界を感じ、地元に帰って就職することを決意しました。
「ぼくのまわりの友達がほんと地元の自慢合戦ばかりしてて(笑)。高松の奴は讃岐うどんが日本一だと本気で思っているし、金沢の奴は加賀百万石を事あるごとに出してくる。ぼくだって、もともと山梨は好きだったけど、当時は自慢できるものが富士山くらいしか思い浮かばなくて“甲府は何にもないよ”って言ってました(笑)」。
土橋克己さん 写真7
でも、ちょっと待てよ、本当に何もないのか…?
そう疑問に感じるうちに、自分がいかに甲府のことをよく知らないかに気づいたんだとか。自分が甲府のよさを知らないだけなんじゃないか。それならば、知ろう!と。
「甲府のことを一番よく知るためには、甲府市職員になるのが近道だ!」

土橋さんの次なる歩むべき道が開けた瞬間でした。

街を何とかしたい!

市役所職員になり、初めて配属された環境部。
「最初の数年は仕事を覚えるだけで精一杯でしたけど、慣れてきたころには、ごみ減量化に力を入れていたので、今では当たり前になったペットボトルの回収がスタートすることから、市民の皆さまに周知するならお知らせを全戸配布するべきと発案しました。当時モノクロでしたけど、9万部を一人で印刷しました」。
土橋克己さん 写真8
その後も、税務部では市内に住んでいなくても、家屋敷がある場合に市民税が課税される「家屋敷課税」を打ち出したり、県庁出向時の子育て支援課では、全額国庫補助で子育ての悩みを電話で相談できる「子育てテレフォン」を開発し、割り込み通話機能を加えたりと、20代のうちから与えられたフィールドで自分に今できる新たなことをカタチにしてきたという土橋さん。
「それまで課税されていなかった家屋敷税に着目して動いたら、それが市の政策として動き始めて、ああ、行動さえすればカタチにできるんだ!っていう手ごたえを肌で感じたんです。どんな場所にいても、自分がいた足跡をしっかり残してきたつもりだし、これからもそうでありたい」。
強い意志を持った土橋さんの瞳が大きく輝きました。
土橋克己さん 写真9
土橋さんといえば、2008年に結成された「みなさまの縁をとりもつ隊」を率いたことで有名な人。甲府のソウルフード、鳥もつ煮に着眼し、2010年の第5回B-1グランプリに初出展、見事ゴールドグランプリという、なんともドラマティックな有終の美を飾りました。

「仕事以外は100%ボランティア。当時は市職員の有志が集まって、この街を何とかしよう!鳥もつ煮でまちおこしをしよう!っていう同じベクトルをもって、スタートしたんです。みんな個性的で、それぞれのアイデアがぶつかり合って、すごいエネルギーを生みましたよ(笑)」。
土橋克己さん 写真10
とりもつ隊は、現在5代目隊長に引き継がれ活動中。B-1グランプリで優勝したことによって、名実共に甲府の宝として市民にもしっかり認知されました。甲府鳥もつ煮は土橋さんの手を離れ、新たな仲間と共に今日も全国を飛び回っています。

「といいましても、市民活動には終わりなし、今は平隊員として未だに県外出展の際は冷蔵車のハンドルを握っております(笑)」。
土橋克己さん 写真11

新たなる甲府の宝探しへ

かつてはたくさんの人が集い、賑わいを見せた魅力溢れる甲府の中心街。何世代にもわたって愛され続ける味、変わらない笑顔で出迎えてくれる馴染みの店。

「どこかなつかしく優しさに溢れながらも、猥雑であやしさも混在するディープな場所。これこそが路地横丁の魅力なんです。この甲府の独自の文化を守り、再生させるぞ!そういう意気込みでスタートしました」。

土橋さんは、2014年甲府ん!路地横丁楽会を発足。
この男がまた立ち上がりました。
土橋克己さん 写真12
学会ならぬ、楽会!地元のお酒と肴を求めて、ふらりとひとりでもふたりでも、軽く飲んで帰ろうと路地横丁へ。

「横丁に連なる店は狭くて不便かもしれない。だからこそ肩が触れ合うような距離で、人情味溢れるコミュニケーションが生まれるんです」。

楽会の活動は横丁の店を飲み歩きながら、その魅力を広報すること。SNSで発信したり、みんなで手作りの冊子を作ったり、イベントを企画したり、様々なメディアを通して訴求します。それも個性溢れるいろいろな職種の楽会メンバーが揃っているから、成せる業なのです。
土橋克己さん 写真12
2018年には地下鉄メトロ駅構内で配布しているフリーマガジン「メトロミニッツ」の「わざわざ遠征したい全国の横丁」という特集のトップにも掲載。横丁調査・研究をライフワークに全国を巡る記者に「鳥もつ煮に次ぐ甲府の新名物こそ、横丁」と言わしめました。

「ぼくたちの発信は一見、観光客とか外に向けられているかもしれないけど、本当は中に向けてのメッセージなんです。ソトからすごいねと評価されることで、やっぱりそうか!とその価値に地元民が気づく。これが一番の目的なんです」。

土橋克己さん 写真13
取材日は、ちょうどこの「甲府ん!路地横丁楽会」主催の新イベント「社長’sBAR」当日。路地横丁のバーに県内企業の社長が集まり、学生とざっくばらんに本音を飲みニケーションするというもの。就職・採用活動・説教は一切禁止!
ありそうでなかった、なんとも斬新な企画!

「土橋さんはいろいろアイデアがわいてすごいねって、よく言われるけど、簡単に新しい発想がわいているわけじゃない。日夜真剣に向き合い、考えてますから!バスに乗ってるときも、違う街に遊びに行ったときも、キョロキョロいろんなところを見てアンテナを立てて、ずーーっと考えています。僭越ですけど魂の入り方違うんです(笑)」。

新しいことをするには必ず批判や反対意見はつきもの。そんな批判家はもう気にしない。
それより、いいね!と言ってくれる仲間をどれだけ集められるかが成功の鍵だという土橋さん。
その強い信念が人を動かし、社会を動かす原動力になっているのです。
土橋克己さん 写真14

変わらぬ夢のために

後先あれこれ考えるよりも、まず前だけを見てガンガン進む姿は「ブルドーザー」。
はたまた甲府の中心街を盛り上げるべく、南に東に奔走する姿は「中心街の守護神」。
数々の異名をもつ土橋さん。

甲府大好き人を増やす。
甲府に帰ってきたいと思う若い人を増やす。
たとえ今、県外にいても、その地で山梨のよさを自慢してくれる人を増やす。
それが土橋さんの根底にある変わらない夢。

その夢の実現のための次なるアクションを教えてくれました。

「ほんとはまだナイショ(笑)!60歳以上のシニア世代の蓄積した経験や知恵を社会の大きな力と捉えた地域デビュー。これが私の夢を叶えるこれからのキーワード」。
土橋克己さん 写真15
この一言を残し、土橋さんの後ろ姿が路地横丁のネオンの中へと吸い込まれていきました。

ロケ地はここ!
土橋さんが愛してやまない
広瀬通りの名店
土橋克己さん 写真16
土橋克己さん 写真17
鳥真トリシン
1961年開店という歴史を刻む路地横丁の広瀬通りに佇む鶏料理専門店。ノスタルジックなちょうちんが目印。
土橋さんが足しげく通う理由は、愛情たっぷりの昔懐かしいチキンライスとご夫婦の笑顔!
鮮度抜群の鳥刺や絶品串焼き、モモに玉子を絡めて焼いたここならではの味わいの黄金焼きなど、絶対食べておきたい絶品揃い!
残念ながら6月で閉店予定だから、今すぐ食べに行くべし!

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